真正仏舎利の嘘 3

- カニンガムが仏舎利を発掘したという嘘 -

 

 阿含宗の仏舎利が本物(真正仏舎利)である根拠として、1881年にイギリス人の考古学者カニンガムがブッダガヤの大菩提寺にある金剛宝座の下から発掘した仏舎利であると主張しています。しかし、カニンガムは大菩提寺から仏舎利など発掘していません。阿含宗の仏舎利とは「発掘されたことがない仏舎利」です。

 

 

1.阿含宗が主張する仏舎利の由来

阿含宗はホームページで「真正仏舎利、第二の渡来」と題して、本尊としている仏舎利の由来を次のように述べています。

 

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資料1.(http://www.agon.org/about/b_02_06.html)

 

この内容は桐山氏が『守護霊の系譜』(文献1)249251頁で書いているのを元にしています。

 阿含宗の仏舎利は、

 

1.アショーカ王が大菩提寺の金剛宝座の下に埋めた仏舎利である、

2.1881年に考古学者のカニンガムによって発掘されたものである、

 

という主張です。大菩提寺という仏跡で、考古学者が正式に発掘したアショーカの王の仏舎利だというのです。

 アショーカ王(在位:紀元前268年頃~232年頃)は8箇所に埋葬された釈尊の遺骨のうち、7箇所から掘り起こし、8万4千箇所に仏塔を建てて分骨したといわれています。また、彼はブッダガヤの菩提樹に参拝していますから、もしアショーカ王が埋めた仏舎利なら本物であると言っていいでしょう。

 カニンガム(Alexander Cunningham, 1814-1893)は、インド考古調査局 (Archaeological Survey of India)の設立に大きく関わり、ブッダガヤなど仏跡の発掘に多大な業績を残し、サーの称号をもらった軍人であり、考古学者です。

 アショーカ王が埋めてカニンガムが発掘した仏舎利ならまさに真正仏舎利です。

だが、これもアショーカ王やカニンガムの権威を利用した桐山氏の悪質な嘘です。百年も前の話だから、素人にはわからないだろうと高をくくったのだろうが、カニンガムはブッダガヤの発掘の報告を本にまとめて出版しています。

 

 

2.カニンガムの著書

カニンガムは亡くなる前年の1892年に下記の本(文献2)を出版し、この本は1998年に復刻されています。

 

Mahabodhi or the great Buddhist temple under the bodhi tree at Buddha-Gaya,

A.Cunningham,

W.H.ALLEN & Co., 1892.

 

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資料1.カニンガムの本(復刻本、文献2)

 

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資料2.Relicsの発見を述べた文章(文献2、前書き、viページ)

 

 資料2によれば、カニンガムは1881年に、大菩提寺の金剛宝座の前の下から、遺物(Relics)を発掘したと述べています。まず着目するべきは、前書きという、本の概要を述べた部分で、カニンガムは遺物についてはこれしか述べていない点です。もし、仏舎利など発掘したのなら、遺物などではなく、仏舎利を発掘したと高らかに宣言するでしょう。だが、それらしい記述はありません。仏舎利などブッダの遺物なら、Relics of Buddhaと記述するべき所を、Relicsとあるだけです。これは遺物がブッダの遺物ではなく、一般的な遺物にすぎなかったからです。

では、発掘された遺物とはどのようなものか、説明している本文を見てみましょう。

 

 

3.仏舎利など発掘していない

 カニンガムが金剛宝座から発掘したという遺物のリストが下記です。

 

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資料3.遺物のリスト(文献2p.20)

 

 資料3が発掘された遺物のリストです。ご覧のように、簡単に言ってしまうなら、遺物とは素焼きの壺に入っていた金銀宝石です。

仏舎利などどこにもありません。

これらの遺物は、Plate XXIIの写真として掲載されています。

 

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資料4.遺物の写真(文献2、Plate XXII)

 

 資料4で、目で見てもわかるように、仏舎利らしいものはありません。

 このように、カニンガムはそもそも大菩提寺から仏舎利など発掘していないのだから、

「2.1881年に考古学者のカニンガムによって発掘されたものである」

という桐山氏の主張には根拠がありません。明らかな嘘です。

 阿含宗の仏舎利は「発掘されことがない仏舎利」、つまり偽物です。

 

 

4.遺物はアショーカ王とは関係ない

 阿含宗のもう一つの主張は、

「1.アショーカ王が大菩提寺の金剛宝座の下に埋めた仏舎利である、」

というものです。

 これもカニンガムは本の中ではっきりと否定しています。それが次の文章です。

 

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資料5.遺物にあったコインの年代(文献2のp.21、資料3の続き)

 

 遺物の中にあった5つの銀製のコインは紀元後2~3世紀のものであり、金製のコインは紀元後120160年頃のものだとあります。つまり、この遺物が納められた時期は早くても紀元後2世紀です。一方、アショーカ王は在位が紀元前268年頃~232年頃とされていますから、紀元前のアショーカ王が、紀元後のコインを埋められたはずはありません。

 この遺物は紀元後に埋められたものだと発掘者であるカニンガム本人が述べており、アショーカ王が埋めたなどという桐山氏の主張は嘘です。

 

資料6.資料4に示したカニンガムが発掘した遺物の一部

(http://en.wikipedia.org/wiki/Huvishka)

 

 アショーカ王が埋めた仏舎利などというと、いかにも本物のように聞こえるが、今日までにアショーカ王が埋めたと学問的に認められた仏舎利は存在しません。8万4千もの仏塔を建てたという記述があるから、一つくらい仏舎利が発掘されているだろうと素人は思ってしまうが、ありません。「アショーカ王の埋めた仏舎利」という仏舎利があれば、それは偽物だと名乗っているようなものです。

 

 

5.金剛宝座の「下」から発掘されたという嘘

桐山氏の主張によれば、仏舎利は「金剛宝座の下から発掘されたものです」(資料1)とあります。アショーカ王が金剛宝座の下に埋めたと、いかにも本物らしく見せかけたつもりなのでしょう。だが、カニンガムは遺物の発掘した場所もはっきりと示しています。前書き(資料2)で次のように書いています。

In February 1881, I paid another visit to the Temple, and I was present when the discovery of Relics was made under the front of the Vajrasan Throne. 

遺物を金剛宝座の「前の下」から発見したと書いているのです。金剛宝座の「下」と「前の下」では大変な違いです。「下」ならば金剛宝座を設置した時に先に埋めたことになるが、「前の下」ならば後でいくらでも埋められます。

 カニンガムは遺物を発見した位置を図面にも残しています。

 

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資料7.遺物が見つかった金剛宝座の図(文献2のPlate VI)

 

 遺物が丸印で示されています。見やすいように資料7の左側にある側面図の向きを変えてみましょう。

 

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資料8.遺物と金剛宝座の位置関係(文献2のPlate VI)

 

 ごらんのように、まさに金剛宝座の「前の下」から遺物は発見されたのです。

 壺が発見された位置や、内容物が金銀宝石であることから、信者が供養のために置いて、その後埋没したか、あるいは最初から足下に埋めたかのどちらかでしょう。位置的に見ても、アショーカ王がこんな所に仏舎利を埋めたはずはありません。

 桐山氏の得意の小手先ゴマカシで、金剛宝座の「前の下」を「下」と言い換えることで、アショーカ王が正式に埋めたものであるかのように見せかけたのです。

 

 

6.仏舎利を素焼きの壺に埋めるはずはない

 カニンガムの報告書では、遺物は素焼きの壺に入れられ、金剛宝座の前の下に埋められていたようです。仏舎利をこんな荒っぽいやり方で埋葬することはありえません。

学者たちが本物の仏舎利であると認定しているピプラハワの仏舎利は、大きな砂岩の石棺(132 × 82× 66cm,696kg) をくりぬいたもので、その中、水晶製の舎利容器1個と滑石製の舎利容器4個に納められていました。(http://web.kyoto-inet.or.jp/people/shiunji/yowa/yowa1.html)

 仏舎利とはこのように幾重にも厳重に埋蔵されるものです。アショーカ王ともあろう者が、仏舎利をただの素焼きの壺に入れて、足下に埋めるなどということはありえません。

 この砂岩の石棺は阿含宗の機関紙でも掲載されています。もちろん、ピプラワで発見された仏舎利と阿含宗の仏舎利はまったく関係ありません。

 

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資料9.阿含宗の機関紙に掲載された仏舎利の入っていた石棺(文献3のp.5)

 

 阿含宗はなぜ機関紙にカニンガムが発掘した仏舎利を入れた舎利壺や石棺を掲載せずに、まったく関係のないペッペが発掘した石棺を掲載したのでしょう?もちろん、カニンガムが金剛宝座から発掘した舎利容器や石棺などありえるはずがないからです。そして、本物の仏舎利と認定されているピプラハワの石棺を出して、いかにも阿含宗も本物であるかのように見せかけたのです。

 

 

まとめ

・カニンガムが金剛宝座で発掘した遺物とは金銀宝石であり、仏舎利など発掘していない。

・遺物は紀元後に奉納されたものでアショーカ王とはまったく関係ない。

・遺物の奉納の仕方も粗雑なもので、アショーカ王が埋めたはずはない。

・遺物が金剛宝座の「下」から見つかったという阿含宗の主張は嘘である。

 

以上のことから、桐山氏の主張する「アショーカ王が大菩提寺の金剛宝座の下に埋めた仏舎利をカニンガムによって発掘した」などという事実はなく、すべて彼の虚です。阿含宗の仏舎利は「発掘されたことがない仏舎利」、つまり真正の偽仏舎利です。

 

 

文献1.『守護霊の系譜』桐山靖雄、平河出版社、1986.

文献2.Mahabodhi or the great Buddhist temple under the bodhi tree at Buddha-Gaya, A.Cunningham, W.H.ALLEN & Co., 1892.

文献3.「真正仏舎利尊」、『アゴン・マガジン』30号特別付録、阿含宗出版部、2009年.