阿含経の捏造 2

仙尼経に異陰を捏造

 

阿含宗の教義では「釈尊は阿含経で異陰という名前で霊魂を説いた」と主張しています。この異陰こそが桐山氏の説く不成仏霊であるというものです。しかし、その根拠となった仙尼経には異陰という言葉そのものがありません。仙尼経に実際にある「陰」にも霊魂という意味はありません。釈尊があたかも霊魂や不成仏霊を説いたかのようにみせかけるために、桐山氏は言葉と意味を捏造したのです。

 

 

1.二十年に渡る異陰の捏造

 阿含宗では不成仏霊、霊障のホトケの成仏が重大な教義の一つとされています。しかし、釈尊が霊魂や死者の成仏をどこで説いたのか、という疑問があります。桐山氏はこれに対して、「釈尊は霊魂を異陰という名前で説いた」として、その根拠として阿含経の仙尼経を示しました。

 

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資料1.仙尼経に出てくるという「異陰」(文献1『輪廻する葦』p.111,文献2『間脳思考』pp.121-122)

 

 資料1は桐山氏が著作に引用した漢文書き下しの仙尼経で該当する部分と、その和訳です。書き下し文には、

「慢断ぜざるが故に此陰を捨て已りて異陰相続して生ず。」

という一文があり、和訳も「異陰を生じて」とあります。

 だが、これ自体が桐山氏の経典捏造で、仙尼経には異陰などありません。

 

 

2.仙尼経に異陰などない

桐山氏も使ったという『國訳一切経』から仙尼経の該当する部分を引用してみましょう。

 

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資料2.國訳一切経にある仙尼経(文献3、p.108)

 

 資料1と資料2を比較すれば桐山氏の捏造は一目瞭然です。

桐山氏の書き下し

「慢断ぜざるが故に此陰を捨て已りて異陰相続して生ず。」

國訳一切経の書き下し

「慢断ぜざるが故に此陰を捨て已りて陰と與に相続し生ず。」

 原文では「陰と與に」なのに、これを「異陰」と書き直しています。

 

 

3.捏造の証拠を堂々と本に載せた

桐山氏は百も承知で捏造していた証拠があります。それが下記の記述です。

 

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資料3.漢訳と書き下しの違い(左は文献4のpp.258-259、右は文献5のカラーページ.)

 

 資料3は1992年の機関紙と1996年に出た桐山氏の本です。上部の漢訳経典と下部の書き下しの文を比較してください。下部にある書き下し文は前の桐山氏の本(資料1)のままに「異陰相続し生ず」とあります。ところが、上部にある漢訳経典では「与陰相続生」、つまり資料2の『國訳一切経』と同じ「陰と與に」になっています。

原典の漢訳経典とは違う書き下し文を堂々と掲載しているのです。犯罪行為を本にそのまま載せるという桐山氏の度胸のよさにはあきれます。捏造をあまりに堂々とやってのけるものだから、逆に誰も気が付かないのでしょう。

 

 

4.異陰を消して口を拭った

 ネットで桐山氏の異陰の捏造が批判されると、2007年に発行された阿含経講義では、異陰を消してしまいました。

 

 

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資料4.異陰の文字が消えた阿含経講義の本(文献6の左はpp.244-245、右はp.243.)

 

 ごらんのように、「陰と与に相続して生ず」と書いてあり、異陰は影も形もありません。『輪廻する葦』『間脳思考』(資料1)では、異陰を繰り返し強調していました。

 

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資料5.異陰の発見を自慢する文章(文献2のp.128)

 

1984年に出た『間脳思考』では異陰について「ここのところを、いままでの仏教者は見おとしていたのである」と、これまで誰一人として気が付かなかったことを大発見したのだと強調し、得意満面であり、他の仏教者を「論外である」などと罵声まで投げつけていました。ところが、その自慢の大発見「異陰」が2007年の本(文献6)ではきれいに消えてしまい、まるで何事もなかったかのように、「陰と与に」と書いています。

 本来ならこれまでの異陰の捏造を謝罪し、撤回することから始めるのが筋というものです。だが、阿羅漢だという桐山氏にはこういう常識は通用しません。口を拭って、素知らぬ顔です。

 だが、厚かましく恥知らずなのは教祖だけではないようです。

 

 

5.懲りずにまた機関紙に異陰を載せた

 桐山氏が文献6の著書から異陰を消した後も、阿含宗では相変わらず仙尼経の異陰が宣伝材料に使われています。

 

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資料6.「仙尼経の異陰」の捏造をやめない阿含宗(文献7)

 

 資料6が発行されたのは2009年ですから、桐山氏の本(資料4)の二年も後のことです。教祖自ら異陰を撤回して、何事もなかったかのように口を拭っているのに、幹部たちはわざわざ桐山氏の捏造や嘘を世間に知らしめたいようです。

 

 

6.異陰は大事な商売道具

 桐山氏が異陰を強調した背景には、「釈尊が霊魂を説いた」という証拠が必要だったからです。だから下記のように、「異陰=霊魂」とタイトルにまで何度も使っています。

 

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資料7.異陰は霊魂だという桐山説(左から文献4のp.258、文献4のp.270、文献1のp.153)

 

 桐山氏にとって異陰が重要な意味を持つのは霊魂を発見したというだけでなく、阿含宗の最大の商品の一つである不成仏霊の成仏を正当化できるからです。

 

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資料8.異陰は不成仏霊だという桐山説(文献1のp.156)

 

 阿含宗では不成仏霊の成仏こそが最大の収入源ですから、阿含経で釈尊が霊魂を説き、また不成仏霊も説いてくれないと困ります。そこで、桐山氏は仙尼経に異陰を捏造して、これを釈尊の説いた霊魂や不成仏霊であると主張して来たのです。

 ところが、その根拠としての異陰は仙尼経にありません。桐山氏は大事な商売道具としての異陰を失ったのです。

 

 

7.釈尊は霊魂など説いていない

 桐山氏は文献7(資料4)の阿含経講義で異陰を撤回したにもかかわらず、相変わらず、釈尊が霊魂を説いたかのような書き方をしています。しかし、仙尼経にある「陰と与(とも)に」の「陰」には霊魂や不成仏霊などいう意味はありません。

 「陰」とは、桐山氏も説明しているように五蘊(五陰)のことです。

 

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資料9.桐山氏による五蘊の説明(文献2のp.127)

 

 資料9の桐山氏の説明は大筋で正しく、辞典でも次のように説明しています。

 

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資料10.辞典の五蘊の説明(文献8)

 

 五蘊とは、人間の存在が五つの要素から成り立っていることを示したもので、簡単に言えば、人間そのものを指しています。五蘊の集合体が人間だというのです。五つの要素はいずれも人間の肉体と精神の作用を表し、人間が自覚できるものばかりで、摩訶不思議なものではありません。

 なによりも、五蘊()には霊魂に相当する言葉も概念もありません。桐山氏が説明した資料9の中にすら、五蘊には霊魂に相当するものはありません。つまり、

「五蘊=陰≠霊魂」

となります。

 釈尊が示した人間を構成する五つの要素の中には霊魂などないのです。だから、桐山氏のように、「陰」を霊魂などと訳すのは何の根拠もなく、空想であり、嘘です。

 そこで、もう一度、仙尼経の問題の箇所を見てみましょう。

 

 

8.煩悩を切らなければ輪廻する

國訳一切経の本物の仙尼経の文章は次のようになっています。

「慢断ぜざるが故に此陰を捨て已りて陰と與に相続し生ず。」

これを簡単に和訳するなら、

「慢を断じていないから、今の自分()が死んでも、次の自分が生じる」

となります。つまり、慢という煩悩を断じない限り、輪廻転生が続くと言っているだけです。

 7で述べたように、「陰」とは五蘊であり、五蘊には霊魂という意味はありませんから、桐山説のように「死んで霊魂になる」とか、「死んで不成仏霊になる」という訳は成り立ちません。

 仏教では煩悩があるから輪廻転生し、煩悩を断ち切れば解脱して輪廻転生から脱出する、というのが基本的な考え方です。仙尼経の上記の一文はこういう仏教のありふれた説明であり、桐山氏が大発見を自慢しなければならない内容ではありません。桐山氏の仏教の知識が間違っているのと、阿含宗の商売のために釈尊が霊魂や不成仏霊を説いたかのように見せかける必要に迫られた嘘にすぎません。

仙尼経で釈尊は解脱するための条件として煩悩()を断ち切ることだけをあげており、因縁切りも不成仏霊の成仏も出てきません。仙尼経もまた桐山氏の主張する因縁解脱や霊障解脱というオカルト教義を否定した阿含経です。

 

 

まとめ

・仙尼経には「異陰」などなく、桐山氏の捏造である。

・仙尼経に異陰を捏造したことがばれても、桐山氏と幹部たちは気にならないくらい道徳心が低い。

・仙尼経にある「陰」には霊魂や不成仏霊などという意味はない。

・仙尼経は、煩悩を切らなければ輪廻転生が止まないと説いた普通の経典であり、桐山氏の大発見でも何でもない。

・桐山氏が仙尼経に異陰を捏造し、霊魂や不成仏霊であるかのように見せかけているのは、阿含宗の商売上に必要だからである。

 

文献1.『輪廻する葦』桐山靖雄、平河出版社、1982年.

文献2.『間脳思考』桐山靖雄、平河出版社、1984年.

文献3.『國訳一切経 阿含部1』大東出版社

文献4.『社会科学としての阿含仏教』桐山靖雄、平河出版社、1996年.

文献5.『ダルマチャクラ』阿含宗出版社、44号、1992年.

文献6.『仏陀の真実の教えを説く〈上〉阿含経講義』桐山靖雄、平河出版社、2007年.

文献7.『仏陀の霊魂救済法』、阿含宗出版部、『アゴンマガジン』28号特別付録、2009年.

文献8.『岩波仏教辞典』第二版、岩波書店.