桐山氏の占いと予言の嘘 1

―― 週刊誌連載で議員の当落を外した ――

 

 桐山氏は占いの本を何冊も執筆するなど、占いや運命学の名人や達人であると自称しています。だが、彼の占いが、凡人や世間の予想をこえて当たったという事例はありません。桐山氏の本に載っている当たった事例とは、後で書かれたものであり、いわゆる「後出しジャンケン」ばかりです。本当にそのような予想したのかどうか、確認のしようがありません。

 一方、週刊誌に占いで予想を出し、見事に外した事例があります。

 

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資料1.週刊誌の広告で代議士の当選を占った文章(文献3)

 

 資料1~2は、阿含宗が週刊誌に掲載した広告であって、週刊誌の記事ではありません。2ページを借りて、4つの記事を掲載し、その一つを桐山氏が連載するという形式をとりました。

 当時、松野頼三議員がダグラス・グラマン事件で、議員辞職に追い込まれ(1979725)、その後、10月の選挙に立候補しました。資料1はその間の8月に週刊誌に掲載された文章です。

 

 この記事でまず気を付けなければならないのは、最初の文章です。

わたくしの予測したとおりであった。

と、まるで松野氏の議員辞職を世間よりも前に桐山氏が予想していたかのような書き方をしています。読者は、週刊誌の連載で前に桐山氏がこのような予測を書いていたのかと思うでしょう。

 これが桐山氏の作戦です。桐山氏がこのような予測を出したことはありませんし、資料1より前の連載でも松野氏については一言も出てきません。桐山氏はただ予測したと書いているだけなのに、まるで占いが当たったかのように巧みに読者に錯覚させるのが得意で、この文章はその典型です。

 

 松野氏の選挙の当落について、桐山氏の占いでは、

苦労するが当選するであろう。

というものでした。

 だが、結果は、落選でした。バカ外れです。

信者相手の法話ならごまかしようもあるが、週刊誌に掲載してしまったのでは、取り返しがつきません。桐山氏は次のような言い訳を書きました。

 

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資料2.週刊誌に代議士の当落を外して書いた言い訳(文献4)

 

 桐山氏の言い訳は言い訳にすぎず見苦しいだけです。占いは当ててナンボのものですから、外したら、どんな偉そうなことを言っても無駄です。そのことは桐山氏自身が本で次のように書いています。

 

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資料3.「占術は当てることが第一である」というお説教(文献3の10)

 

 この本で、桐山氏「占術は当てることが第一である」と明言しており、読者は誰もこの意見に反対はしないでしょう。だが、これを言った本人が外しては、「いかに恐るべき予言力」などとホラを吹いても、何の説得力もありません。

 桐山氏はかねてより、占星術で当てるための極意について次のように読者にお説教していました。

 

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資料4.桐山氏の占い能力の自慢(文献4の4243頁と25)

 

 文献4は週刊誌で占いを外す一年前に書かれた本です。資料4の桐山氏の説明によれば、桐山氏の占いとは飛躍した直感、広範な常識、ふかい教養、そして知性を総動員したシステムの上に立ち、何十万という占断例を経験して研鑽を積んだもののようです。

 目もくらむように壮大な桐山氏の占いの能力なのに、現実は、選挙の当落という、素人のコイン占いでも半分は当たる簡単な占いすら外しました。桐山氏の常で、力自慢はするが、竜頭蛇尾で実際には何もできない。もっとも、この本では桐山氏本人を予言したとも思える一文があります。

 

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資料5.桐山氏による占いが当たらない理由(文献4の46)

 

 資料5によれば、桐山氏の占いが外れたのは、桐山氏の

カンが悪く、常識がなく、教養がひくい

ことが理由だったようです。そして、桐山氏のカンが悪く、常識がなく、教養がひくいために、当たらなかったのではなく「あてられないのだ」そうです。他人に投げた非難がそのまま桐山氏を直撃している姿は「天に唾す」という諺そのままです。

 桐山氏の占いは当たらないが、この分析だけは当たっているようにみえます。

 

 桐山氏の占いを外した言い訳は、運気と運期ばかり考えて業()を考えていなかった、というものです。

 だが、この言い訳も成り立ちません。占いは業の成り立ちと変化を読みとり、そこから未来を予知しようというものですから、業は最初から占いの中に入っているのです。桐山氏が考えようが考えまいが、最初から入っているのです。

 また桐山氏は業を直接透視できると自慢したいのだろうが、占いとは業を霊的に透視するのではなく、占術という技術をもって透視するのですから、言い訳としてすらも成り立ちません。

 この言い訳は霊的な世界など「客観的に検証できない内容で勝負する」という桐山氏がいつも使う手です。

具体的にわかるのは、選挙の当落を外したことだけです。

運期も運気は誰もわからない内容であり、さらに外れた言い訳に、業や徳というこれまた誰もわからない内容を使っています。桐山氏の話とはいつもこんなもので、見えない世界の話では力自慢をするが、現実世界では何の力も示せません。桐山氏が勝負できるのは、運気か運期、あるいは業や徳といった、彼以外は誰もわからない世界だけです。

桐山氏の自称・超人的能力は現実では通用しませんでした。

 以上のように、桐山氏は自分では占いの名人や達人を自称しているが、実際に占わせると、選挙の当落という簡単な占いすら外したのだから、占い師としての能力はないというべきでしょう。

 

 

文献1.「運気と運期5」、『週刊新潮』の阿含宗広告、1979830日、p.76.

文献2.「運気と運期⑧」、『週刊新潮』の阿含宗広告、19791129日、p.78.

文献3.『密教占星術入門』桐山靖雄、平河出版社、1992年.

文献4.『密教占星術Ⅱ』桐山靖雄、平河出版社、1978(初版)